COMPANY PROFILE
会社概要
福榮産業株式会社では、各種プラスチック製品のオーダーメイド、
良質で安価な製品のOEM生産を承っております。
プラスチックフィルム商社で培った素材の知識と経験を活かして、
お客様のブランド製品オリジナル商品を福榮産業株式会社がその製造を受託いたします。
高品質の日本製から、安価で良質な中国製まで、ご要望に合わせて責任をもってOEM生産いたします。
福榮産業株式会社のご紹介動画
福榮産業株式会社からのメッセージ
福榮産業株式会社は、PVCフィルムの卸販売業・商社として創業し、PVC、PP、PE、PU、など各種プラスチックフィルム、さらにナイロン、ポリエステル、コットン、など各種繊維素材、不織布、ホロフィルム、などの複合素材を時代に合わせた素材を仕入れ、さらにお客様のご要望、に合わせて、裁断、印刷(シルク印刷、オフセット印刷、グラビア印刷、インクジェット印刷)、縫製、ウェルダー、射出成型、真空成型、各種加工作業の手配、さらに、ファスナー、面ファスナー、ホック、プラホック、フック、はとめ、カシメ、PPテープ、PEテープ、台紙、台紙の印刷、カートン、など必要な付属品の仕入れ、検品、セット、梱包まで最終製品になるまでの手配を手掛けて参りました。
多岐に渡ってきました福栄産業の商社としての事業を、フィルム卸売事業とOEM生産事業に分類し、その概要、実績を各ホームページにてご紹介させて頂き、皆さまとのビジネスの可能性を探っていけたらと思います。
事業領域
価値あるモノづくりを通して、日本と中国、日本と世界、お客様と工場の架け橋のひとつとなります。
会社概要
会社名 | 福榮産業株式会社 |
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所在地 | 本社 〒111-0041東京都台東区元浅草1-6-29 ヤマダビル4F TEL:03-6826-8181 ​ 上海事務所 金華日福榮貿易有限公司 上海分公司 中国上海市嘉定区环城路762弄4号楼909室 201899 TEL:+86-189-6937-1855 ​ 金華日福榮貿易有限公司 中国浙江省金华市婺城区丹溪路1113号 申华大厦1幢B1217室 321000 TEL:+86-579-8210-4135 |
代表者 | 福澤 成能 |
設立 | 1957年4月(昭和32年) |
資本金 | 3,000万円 |
事業内容 | 各種軟質プラスチック諸材料の卸販売・輸入・輸出 各種プラスチック加工製品の製造卸・OEM製造・輸入 |
所属団体 | 東京ビニール商業協同組合 |
取引銀行 | みずほ銀行/ 横山町支店 三菱UFJ銀行/ 上野支社 朝日信用金庫/ 西町支店 |
本社所在地
福榮産業株式会社〈本社〉
〒111-0041東京都台東区元浅草1-6-29 ヤマダビル4F
台東区の昔の様子
江戸時代、台東区の浅草は浅草寺の参拝客が買い物や食事を楽しむ人でごった返していました。
その様子は、大ヒットアニメ「鬼滅の刃」の中でも描写されていて、山から下りてきた炭治郎がその賑やかさに驚いているほどです。
浅草寺の近くには、隅田川が流れ、船を使って参拝に訪れる人も多くいたようです。
また江戸城と浅草の間には武家屋敷も多く、各地方から仕事で上京した人も浅草寺を訪れて、地方にはない漢方薬や、食べ物やモノを買ったと聞いたことがあります。実際その名残が歴史ある商店の様子からうかがえます。
江戸時代から続く隅田川の花火も人が集まる証しのひとつです。
浅草の隣の上野にも上野公園を中心に歴史的建造物も大変多いです。
徳川家をまつる上野東照宮や寛永寺、博物館、科学博物館、西洋美術館、動物園、などなど。上野駅は北の玄関口と言われた時代もあり、東北地方から上京した人は必ず降り立つ場所として賑わいました。上野駅、御徒町駅周辺はアメ横など、台東区には今も多くの商店がところ狭しと賑やかに並んでいます。
御徒町には、日本で二番目に古い商店街である佐竹商店街もありその由来は1683年に遡ります。また1927年には、日本で最初の地下鉄である銀座線が浅草上野間を走りました。
江戸時代から栄える台東区の街は今もその頃の賑わいが続いています。
福榮産業株式会社と工場
福榮産業は、20年以上前より更なるコスト削減を目指して中国での提携工場によるOEM生産を手掛けて参りました。始めた当初は、香港での貿易商社を経由しての深圳・東莞経済特区での生産・仕入れでした。2001年12月中国が世界貿易機関(WTO)に加盟が決まり、中国と直接貿易が可能となり、上海エリアの現地工場を開拓し直接貿易を始めるようになりました。そして2003年8月直接貿易の拠点として、上海に事務所を設立しました。中国生産を始めた深圳・東莞エリアでの品質は始めた当初は、印刷や加工のトラブルもありましたが、年を重ねるとともに改善されていきましたが、価格も上昇していきました。そして、上海エリアも同じく始めた当初はトラブル続きでその解決のために出張していた担当者が予定を変更し延泊しビザが必要となり(滞在15日以内はビザ不要)大使館にビザの申請をしに行くこともしばしばありました。上海も改善は進みましたが、やはりコストアップも進み、浙江省に生産工場を探し、大幅なコストダウンに成功したと思いきや、社史に残る大きな不良問題が発生、日本で6万個を48時間以内に全量検品しなければならない事態となりました。そこで2007年浙江省杭州の工場内に机と椅子を借りてスタッフを雇い、常駐させ生産管理を専任させました。さらに2010年その時のスタッフをリーダーに金華に事務所を設立、浙江省でのOEM生産の拠点としました。さらに品質管理を徹底するために、専任の移動検品員を登用、品質の安定化に努めております。金華事務所のリーダーは、金華市内のほとんど全ての縫製工場を回った、私を知らない人はいないと言っています。これだけ、中国でのOEM生産を整備してきましたが、それでもやはり、日本の国内で、日本の材料、日本での加工が適正なものもまだまだ多いです。高品質はもちろん、加工後の完成品のコストも中国より安いものがあり、後継者問題さえ解決されれば、ものづくりが日本から消えることはないと確信しております。
さらに日本独自の高品質のフィルムや、安定剤などの諸材料を仕入れ、中国の需要家に卸販売する商社事業を昨年より現地法人を設立し始めました。「価値あるモノづくりを通して、日本と中国、日本と世界、工場とお客様の架け橋のひとつとなる」という福栄産業の使命のもと、永くお取引が出来る皆さまと出逢えることを願っております。
福榮産業株式会社、60年を超える歴史
創業者福澤年雄は、長野県下市田から上京後、夜間大学を卒業、セルロイド工場に就職、その後皮革卸会社に転職しました。
その時に社長に呼ばれ、「ビニールというものが世の中に出始めた。
君がその担当として商いをしなさい。
仕入れ先も売り先も自分で探しなさい。」と言われ、ビニールの卸売りのビジネスを覚えることになりました。
その後、同業者への転職を経て1956年福澤年雄27歳で独立することになります。
当時ビニールは真新しい素材として注目され、レインコートなどは完全防水で、1万円、当時の新卒者の給与と同じ金額で売られていました。
某おもちゃメーカーからは、空気で膨らむビニールの人形が開発され一世を風靡しました。
フルーツの贈答品はビニールの風呂敷で包まれ、家庭やレストランのテーブルにはビニールのテーブルクロスが敷かれました。
ビニールは、水や汚れに強く、透明素材であれば中身を確認することも出来る優れものとして世に広まりました。
ビニールの仕入れ・卸販売・商社としてスタートを切った福榮産業は、大きな最初の曲がり角を迎えます。
材料を持って売り歩くと、お客様からそれを印刷して加工して製品にして納めて欲しいと言われるようになり、裁断工場、印刷工場、付属品会社、ウェルダー加工工場を連携してOEM生産体制の基礎を築くことになります。
その頃より、日本屈指のキャラクターメーカーから、多くのビニール商品のOEM生産の依頼を受けます。
財布、通園バッグ、ファイルケース、カードケース、水着入れ…。
当時の形状で現在も続く商品がいくつもあります。
残念なのは、それらの市場価格が安くなっていったことです。
そのうち、日本国内での生産では価格が合わなくなるものも出始めて、アジア諸国での生産・仕入れが主流となっていきます。福栄産業も20年前から中国生産を始めます。
その最中1996年、創業者福澤年雄が逝去するとほぼ当時に、息子の福澤成能(当時28歳)が代表取締役社長に就任します。
2003年上海に事務所を開設し中国生産・仕入れの拠点とします。
現在では、ウェルダー製品だけでなく、縫製品、成型品と仕入れ、取り扱い加工商品を増やし、教育資材、業務資材としてなくてはならない資材の素材卸販売とOEM商品を取り扱う商社と変貌を遂げました。